プロフィール

ご訪問、感謝します。

きょう(40代でシステムエンジニア)です。

 

SE(システムエンジニア)と言う職業柄

副業に役立つツールを開発してたりもします。

 

家族は妻と2人暮らしで子どもはいません。

(ボクには子どもがいますが、詳しくは後ほど)

 

妻とは20年以上の付き合いになります。

ボク達夫婦はお互いリモートワークで在宅勤務なので

夫婦揃ってどりたも24時間自宅でパソコンに向かっています。

(妻はECサイトの運営の仕事をしています)

 

「それなのに!?」と、よく驚かれるのですが

ボク達夫婦は今も恋人のような生活を送っています。

そして、1度のケンカもありません。

 

SEという職業柄「インドア派」と思われる事も多いのですが

普段は自宅でパソコンに向かう時間が多い仕事なので、夫婦揃って多趣味です。

アクティブな趣味から、インドアな趣味まであります。

 

そんなボクが何故、SE(結構な責任もあり)という職がありつつ

こうしてネットで副業に取り組みだしたのか。

 

SEだからパソコンでの副業は簡単だろ?

そう、思われるかも知れませんね。

 

でも、そんな事はないんです・・・

 

[marker type=”line-h” color=”blue”]ボクが何故、副業に本腰を入れたのか?[/marker]

 

[marker type=”line-h” color=”blue”]ボクが何故、SEになったのか?[/marker]

その理由についてお話させて下さい。

 

■幼少期~

ボクが物心がついたとき

祖父母の家にいました。

 

構成は、祖父母と母とボクです。

 

祖父も母は仕事をしていたので

専業主婦の祖母が幼いボクの面倒をみてくれていました。

典型的なおばあちゃん子です。

 

きっちり、甘やかされて育ちました。

 

そんな生活が数年続いたでしょうか。

4歳の時に母が再婚することになりました。

 

相手の素性を調べたみたいで、祖父母は猛反対

しかし、その甲斐もなく母は強引にボクを連れて逃げたようです。

※祖母からの後日談

 

そして、その日を境に生活は一変しました。

 

祖父母はどちらかと言うと裕福な家庭でしたが

母が再婚した、借金まみれの新しい義父との生活は悲惨でした。

 

何もかもが一変しました。

欲しい物も与えてもえらず

泣いてばかりいたのを覚えています。

 

そこまでは、子どもならよくあることかも知れません。

 

 

更に状況が悪化したのは母と義父に子ども(ボクにとっての弟)が生まれてから。

 

事あるごとに、

いや、機嫌が悪いと言うだけでも虐待を受けました。

 

当時の市営住宅は地下に物置などがありました。

その、物置に当時6歳のボクが数日放置されたこともしばしば。

 

この、放置は実に4年間

10歳まで続きました。

 

そして、住んでいた市営住宅は六甲山の麓にあり

窓は2重窓にしても寒い地域でした。

※窓の間にジューズを入れておくと冷たくなります。

 

そんな状況下で、真冬にパンツ一枚でベランダに閉め出しをされたこともあります。

1晩中でしたのでかなり、ツラかったと記憶しています。

 

そして当然、生傷が絶えない状態でした。

 

ボクは毎日のように顔面を腫らしたまま学校へ通いました。

年代ですね。「しつけ」と言えばだれも気に留めることもない。

それが昭和の教育だったんだと思います。

 

この頃のボクは、友達がいなくもなかったのですが

かなり冷めていた小学生で、

1日中誰とも話さないこともありました。

 

通知表にもそんな事がよく書かれていました。

ですが、本当に毎日が苦痛だったのです。

 

 

そんな中、夏休みなどの大型連休だけが楽しみでした。

「親戚の家に泊まれば虐待がない!」唯一、安堵出来る日々でしたね。

 

主に、母方の親戚の家に行っていました。

 

母は3姉妹で末っ子で

特に、長女の家によく行ってました。

 

長女の家庭には子どもがいませんでしたので

それはもう可愛がってくれました。

本当の子どものようにです。

 

 

なので、養子でもいいから一緒に住みたい!

 

何度も懇願していましたね。

結局、願いは叶いませんでしたが・・・

 

 

次女の家に行くこともありました。

この家には従兄弟がいました。

6歳年上の男です。

 

彼は、真面目を絵に書いたような優等生

回りからの信頼も厚く、すくすくと育っていました。

 

ですが、それは表面上と言いますか

大人から見た場合だけだったのです。

 

イジメとまでは行かないまでも

学校では仲間に入れてもらえない事が多かったようです。

なので、ストレスは溜まっていたのでしょう。

 

影でボクに暴力を振るうことも度々ありました。

 

ですが、所詮相手は子ども

義父の虐待に比べれば、全然余裕でしたね。

 

竹刀で殴られるのは痛かったけど(笑)

 

だから、暴力を受けないように

いとこの家に同居していた叔父さんの母の部屋に入り浸りになりました。

離れなので、あんまり誰も来ませんからね。

 

しかし、自分の家に帰る時は憂鬱です。

義父には、楽しかった思い出の話はしたこともありませんが

きっと、母に聞いていたのでしょう。

 

「楽しくやっていた」と

 

それが、気に障ったのでしょうか?

小1~小3までは母方の親戚の方に行っていましたが

小4から、義父は自分の姉夫婦の元へボクを預けました。

 

それからの40日はかなり不安でした。

 

 

しかし、行ってみると叔父さんに当たる方は優しく

大工さんという事もあり色んなモノを作ってくれました。

そして、休みの日には川遊びにも連れて行ってくれました。

 

ですが、叔母さんは全く違う。

さすが姉弟と言ったところです。

 

叔父さんがいない日中は

ろくに食事も与えてもらえず

奴隷かのようにこき使われました。

 

そしてボクを見下して、ニヤついている顔が

義父とそっくりなのです。

 

1秒でも早く解放されたかった・・・

 

 

そして、初めて殺意と言うものが芽生えたときです。

 

義父はタクシーの運転手をしていたので

1日おきに家にいました。

 

勤務明けの時は昼間は寝ています。

いない時はギャンブルに行っていたようですが。

 

なので、勤務明けで寝ている時、そこを狙って殺そうとしました。

 

小学生の知恵です。

簡単な事しか思いつきません。

なので、包丁で刺して殺す!これが知恵の限界でした。

 

 

そして、チャンスは訪れました。

 

静かに包丁を手に取り

胸をめがけて包丁を振り上げました。

 

そこで義父は目を覚まします。

後の記憶はあやふやです。

嫌というほど殴られたからだと思います。

 

数日間は動けませんでしたから(笑)

 

虐待だけが、殺意の原因かと思われるかも知れませんが

動機は別にもあるのです。

 

借金まみれと書きましたが

ボクはこの頃から搾取されていました。

 

お年玉はもちろん

祖父母や親戚たちが買い与えてくれたモノは売られ

金目になるもは全て奪われていました。

 

体裁上、お小遣いはありましたが

ちゃんと貰えることはほぼなかったですね。

 

 

さて、ここまでを見ると

義父だけが悪い印象になりますが

母も大したもんです。

 

浮気なども繰り返していたでしょう。

 

ボクは小5になっていました。

その冬、夜中に突然起こされるのです。

 

知らないオジサンでした。

そして、クルマに詰め込まれました。

クルマには母も乗っていました。弟を抱っこして・・・

 

その時は眠たさもあり、クルマに揺られると

すぐに寝てしまいましたが完全に夜逃げです。

 

朝起きると知らない場所で、知らない布団でした。

知らない人が何人かいたので誰かの家でしょう。

今後の方針などを話し合っていたのかも知れません。

 

話し合いが終わった後

きっと予め、用意してあった家に移動しました。

 

 

ボクは母に言われました。

「しばらくは学校に行かなくていいから

ゲームでもしていなさい。」と。

 

母親もあまり、帰ってくることもなく

知らないおばさん達がご飯を用意してくれることが多かったです。

 

 

虐待をされない!

怒られることなくゲームが出来る!

これが嬉しくてたまりませんでした。

 

 

そして、裁判などもあったのでしょう。

半年ほどは引きこもっていました。

 

ようやく、落ち着いたのか母と弟と3人の生活が始まりました。

ボクは母のことは好きではありませんでしたが

虐待を受けないだけでも十分でした。

 

 

しかし、更に半年ほどして

夜逃げをした時の「知らないオジサン」が居座るようになりました。

 

よくあるパターンです。

「今日からお父さん」

 

祖母の話によると

この結婚で3回目だとか。

親戚一同は激怒し、絶縁状態になりました。

 

ちょうどこの頃

父親もどきの両親も近所へ引っ越してきました。

嫌な予感しかありませんでしたね。

 

 

やがて、中学生になり

お決まり通りグレます。

 

戸籍上、父親とは言え

知らないオジサンの言いなりは嫌だからです。

しょっちゅうケンカをふっかけました。

 

2年ほどは勝てませんでした・・・

 

 

おかしな話なんですが、

ウチの食卓には子どもの好きなものより

旦那が好きなものを並べるんです。母は。

 

そして、特にボクがキライな食べ物を

父親もどきは好んでいました。

 

よく、言われましたね。

「嫌なら食うな」と。

 

中3の夏、これが起爆剤になりました。

 

以前の義父の恨みもここで晴らす!

父親もどきとの関係もここで終わらす!

こんな底辺の人間と結婚を繰り返す母にも制裁を与える!

 

時間にすると、5分あるいは10分程度だったでしょう。

 

 

それから時間も経ち・・・

秋も終わりをむかえ、冬に入ろうとするころ

ボクが家に帰るともぬけの殻でした。

 

 

ボクが友達の家に泊まるところを狙ったのでしょう。

 

ですが、ボクの中では”自由になれた”ことの方が大きかったんです。

15年間生きてきた中で1番嬉しい出来事でした。

 

 

とは言え、逃げたことに怒りがない訳ではありません。

祖父母もどきの家に行き、状況を説明しました。

祖父母もどきも知らなかったらしく、ビックリしていましたね。

 

 

祖父もどきが調べたところ

夜中にコソコソと荷物を運び出していた。

とのことでした。

 

またしても夜逃げです。

 

 

そこからは自力での生活が始まりました。

義務教育中でした。

 

(略)

 

 

そして、そのまま就職へ

 

 

■中学卒業後~職人時代

当時は中卒でも肉体労働の仕事は沢山ありました。

なので、手に職をつけるために職人の道へ入りました。

 

色々ありましたが

自分に合っていたんでしょうね。

 

短気でしたので、他の職人さんともよく衝突しました。

相手は大体年上なのですが、すぐにケンカになりました。

ストレス発散です(笑)

 

 

ですが、これも時代の流れ

居心地は悪くなる一方です。

規制は増えていく一方でした。

 

 

とにかく名一杯仕事をしましたし

遊びも全力でしました。

 

 

特に、毎日遊んでいた親友

相棒と遊ぶのは最高に楽しかったですね。

 

毎晩のように飲み歩き

ナンパしたり、暴れたり(笑)

他の人とは違う青春を楽しみました。

 

でも、それも長く続かなかった・・・

 

 

20歳という若さで

相棒は事故で亡くなりました

ただただ、ショックでしたね。

 

 

相棒を亡くして、楽しくない日々が始まりました。

何というか、気持ちが入らない。

 

死んだ魚のような目をしながら、毎日を送っていたと思います。

 

 

それから、3年ほど過ぎて結婚をしました。

相棒の両親が息子とダブらせて見ていたのでしょう。

 

ボクに会うたびに「結婚はまだか?」って(笑)

 

 

当時の彼女と

「ワシら結婚せなアカンのか?」ってなりましたよ。

だって、別に好きじゃなかったしw

 

 

でも、家族が欲しかったのも事実

 

いや、家族と言うより子どもが欲しかっただけ。

子どもの変わりはいませんからね。

 

 

結婚をしたのは良かったのですが・・・

 

相手の両親は、こちらに親がいないから

と、マウントを取ってくる。

妻もそれに乗っかり、態度がデカくなりました。

 

そして、元来の浪費家で浮気性の妻

ケンカになると刃物まで出してくるんですよね。

 

寝込みを襲われた事も何度あります。

 

上手く行く訳がなかったのです。

 

 

怒りは頂点に達しましたよ・・・

 

 

そんな流れで離婚に至るのですが

妻がしていた借金はボクの名義

両親がいない。仕事もない。

(妻の身内の会社で無理矢理働かされていました。なので、離婚をすると職がなくなります)

 

勝手に借金されていた額は元金だけでも300万円をゆうに超えていました。

 

 

こんな状態では息子を引き取れなかった。

後から考えると、計画だったのかな?

 

 

離婚する時、売れるものは全て売りお金に変えました。

それを全部渡したら、

手元に残ったのは200円もなかったw

 

24歳の時です。

 

なので、大阪に戻っても

住む家もなければ、仕事もない。

そして、残金は200円弱(笑)

 

実際、死ぬことも考えていました。

 

状況が状況だけに

生きる気力も失っていたのだと思います。

 

「生まれてきてはいけなかった存在」

そんな風に思っていました。

生まれてからずっと幸せとは程遠かったから・・・

 

ですが、何故か自殺は出来ませんでした。

 

 

そして幸い、ボクは手に職があったので

日雇いの仕事は見つけることができました。

 

 

でも、住む家がない。

 

 

それで、寮が付いている仕事を探しました。

 

 

■妻との出会い

次の仕事はトラックの運転手です。

寝る間も惜しんで必死に働きました。

前妻が残した借金は待ったなしですからね。

 

後で分かった事ですが

離婚直前も別の所で借金をされていました。

 

その額、100万円

 

通知がきたときには頭を抱えましたよ。

 

 

そんな、借金の返済だけがのしかかってくる日々

何とか目処も立つようになりました。

その期間、約3年です。

 

その頃、今の妻と出会いました。

ボクは初めて一目惚れをしました。

なので必死です(笑)

 

 

妻とは数年の同棲を経て結婚

同時にマンションを購入しました。

もちろん、ローンですけどね。

 

 

そして、新しい生活をはじめました。

この頃はすべてが楽しかったと記憶しています。

 

 

そんなある日、ネットであれこれ見ていたら

HPを作ったら稼げる!って知ったんですよ。

 

 

妻はその頃、楽天にショップを出して店長を始めたころです。

※雇われ店長です。

 

なので、ホームページ・ビルダーがあったんです。

 

 

何の知識もありませんが

頑張って作って

コメント周りに行って。

 

オフ会をしたりして交流を持ちつつ

情報交換などもしました。

 

 

でも、稼げねぇ~(笑)

 

 

あえなく撃沈しました。

若かったし、そこまでお金に困ってなかったからでしょうね。

 

今度は、携帯の着うたです。

自分もかなり使っていたし

行けるんじゃね?みたいなノリです。

 

その頃、トラックの運転手を辞めました。

 

でもね、専門用語が多いし

英語なんて分からないし

作業が進まないんですよねー。

 

 

またしても挫折。

 

 

で、ここで考えました。

トラックの運転手を辞めたのは

[marker type=”line-h” color=”blue”]もう1度、勉強がしたかったから。[/marker]

 

もう1度は違いますね。

学生時代はろくすっぽ勉強なんてしてなかったしw

 

 

■SEに

プログラミングの学校に行くことに。

この時、30歳を超えていました。

 

SEになってネットに強くなれば

ネットビジネスでちゃんと稼げる!

そう、思ったんですね。

 

単純です(笑)

 

 

しかし、まー

授業が難しい・・・

 

 

大半が経験者の中に混じって

パソコンにも詳しくない、英語も分からない。

そんな状況で授業を受けていました。

 

もちろん、中卒なんてボク1人でした。

 

 

だから、成績はいつもビリ

それでも何とか卒業をしました。

 

そして、就職活動をするんですが!

学歴で落とされるんですよね。

 

良くて、高卒

基本は大卒みたいな。

そうじゃなければ経験者です。

 

心が折れそうになった時もあります。

 

ですが、数ヶ月かかってようやく就職ができました。

ブラック企業ですけどねw

当時のIT業界では当たり前でしたし。

 

 

なんせ、残業が多かったです。

 

月に400時間以上の勤務なんてザラでした。

休日出勤は当たり前

年末年始の休みが元旦だけ!とか。

 

 

おまけに低賃金(笑)

 

 

それでも、何とか食らいつき

2年目には先輩を従えてリーダーになりました。

 

 

メチャクチャ勉強しましたよ。

マジで寝る間も惜しんで。

出来ない事を出来るって言い張って。

 

 

5年ほどそのまま過ごしました。

 

ある時、上司が独立をする。

「そうなんやー、あの人がいなくなったらやりにくいな」

と、思っていたらお誘いがありました。

 

全ての努力が報われる訳じゃないけど

こうやって、報われる事もあるのか。

 

そう、思いましたね。

 

 

数年後にうつ病と診断されるまでは・・・

 

 

うつ病だから、楽しいことをする!

そう考えていました。

 

なので、趣味は充実していました。

 

バイクに乗るのも好きですが

カスタムも大好き

 

そして、あるカスタムコンテストで優勝

一躍、1部の界隈では有名人(笑)

 

チームを作ったりして楽しんでいました。

 

ですが、楽しむにはお金が必要

チームで副業をすることになりました。

と、言ってもアフィリエイトではありません。

 

Tシャツをデザインして販売したり

パーツを作って販売したり。

 

ボクの中ではゆくゆくはアフィリエイトをする予定でしたが。

 

(略)

 

チームは解散することに!?

 

 

■副業再び

本当なら、チームで儲けたかった。

みんな、仲が良かったんです。

 

でも、お金が絡むとダメな人もいますよね。

小狡いと言いますか、セコいといいますか・・・

なので、チームで稼ぐ事は断念しました。

 

でも、そのダメな人の為に

他の人が稼ぐ事が出来なくなったのは残念でしたね。

 

 

しかし、これが運命なんですよね。

 

 

チームで副業をしない。となると個人でするしかありません。

妻と話し合いをして、副業を再開することにしました。

 

この時はSEとして長く仕事をしていましたし

パソコンのスキルも格段に上がっていました。

 

[marker type=”line-h” color=”blue”]副業のために10年以上をかけてスキルを磨いてきたんです。[/marker]

 

 

そして、2019年の秋

副業を再開するにあたり、色んな情報を収拾しました。

基本的には無料の情報です。

 

その頃は、コロナ前だったので

ASPのイベントにも積極的に参加しました。

 

 

そして、準備は整った!

2020年1月1日副業スタート!

 

まずは、趣味であるバイク特化ブログを作る。

ここから始めました。

 

 

無料の情報と書籍を漁って

何とか形にしていきました。

 

しかし、ASP案件が少ない。

 

 

自分たちで出来る限りの事をしながら

雑記ブログを増やしました。

 

 

この頃は情報発信系のメルマガも読むようになっていましたね。

どんなものなのか興味があったので。

と、言っても少ない方だったと思います。

 

メルマガでは華やかな実績をよく目にします。

 

ほとんどが、疑惑の目で見ていましたが

それでも、「人が出来るなら自分も出来るだろ」と思っていました。

 

これはある程度、どんな事でもそうなんですが

人に出来て自分に出来ない訳がない。

そう、思っています。

 

ただの負けず嫌いとも言いますけどw

 

 

そして、2020年が終わり

年間のトータルを確認

135,000円の売上でした。

 

サーバー代やドメイン代は回収出来ているものの

やっぱり、これでは少ない。

 

 

そんな時に、メルマガスクールの募集を知りました。

 

今はちょっと麻痺ってますが

その時は、初めての課金です。

かなり高額に感じました。

 

しかし、家族会議の結果

GO!と決断

メルマガスクールに入りました。

 

 

少し、話を戻しますが

とある、情報発信のメルマガを購読していた時の事です。

 

この時に、詐欺教材と出会いました。

と、言うか

ボク達夫婦がそう判断したんですね。

 

サンプルを頂いたんですが

その内容が、まーヒドい。

 

「ここは適当でー」

「ここはウソを書いていればOK」

「報酬画像は加工してーーー」

 

ありえませんよね?

 

 

なので、質問メールをしてみました。

 

2週間ほど経ってから返信はありましたが

一言「サンプルなので

 

こちらはちゃんと名乗って

出来るだけ丁寧に、時間をかけて文章を書いたのに

この返信?ってなりました。

 

 

ここで、[marker type=”line-h” color=”blue”]有料教材=詐欺[/marker] と思うようになりました。

 

そして、ネットビジネス(情報発信)をしている人は

[marker type=”line-h” color=”blue”]”冷たい人”[/marker]ととなりました。

 

でも、全員こんな人じゃないだろ?と

何人かの人にメールをしてみました。

すると、まともな返信が来ました。

 

それでも、教材は詐欺だと言うイメージは払拭出来ませんでしたね。

 

だから、メルマガスクールに入るとき

詐欺なら、高い授業料だと思うことにしました。

 

 

結果、詐欺でもなんでもなく

スゴく真っ当なスクールだったので良かったです。

 

 

■飛躍

2021年

気になる教材はとりあえずGETする。

そんな1年でした。

 

当初は、教材を実践して

ブログでの収益を上げることが目的でした。

 

3ヶ月は日々の実践をしていました。

これによりある程度軌道に乗ったのでしょう。

 

教材を手にしたことにより

4月頃から月に50,000円を達成

多い時は100,000円を達成しました。

 

そして、継続して稼げるようになりました。

 

 

そんな中、更に収益化を加速させたのはツイブラという教材です。

ちょうど、メルマガスクールの無料オファーもあり

10分で5,000円、3日で30,000円超え

 

波に乗った!

 

そう、思いましたね。

 

 

ですが、そうそう上手くいきません。

でも、ここで教材のアフィリエイトの魅力に気づいたんです。

 

教材をアフィリエイトする方法もあるんだ!と。

 

だから更に、教材を買い漁る。

そして、迷走する(笑)

 

色んな教材を読むことで頭が混乱したんですね(笑)

これは少し気をつけないといけません。

 

2021年は飛躍をした年ではありますが

ノウハウコレクターまっしぐらでもありました。

とにかく、出来ることは全部やる!

 

それだけで突っ走りました。

後は楽しく実践ですね。

 

 

それはそうと、ボクのブログ歴は20年弱なんですよ。

 

なので、ブログを書くのは好きなんですね。

1日で数万文字を書いたりもします。

だから、ブログで稼ぐ事に拘っていたんですよ。

 

でもね、ボクがしたいのは”ブログで稼ぐ”ことではなく

”ネットビジネスで稼ぐ”ことなんですよ。

 

ブログはそのための手段の1つでしかない。

 

だから、変なこだわりを捨てました。

Twitterの方が簡単に稼げるなら、Twitterでいいんですよ。

 

転売の方が売上が多くなるなら、転売でもいい。

自分のスタイルに合った手段で稼げばいいんですよね。

それを痛感した1年になったと思います。

 

■ツール開発

基本的に、SEなら大抵の人が作れると思っています。

 

自分では大したツールを作っている感覚もありません。

ただ本業でしていることを副業に置き換えただけ。

 

なので、最初はお金をいただかない。

いただくとしても、割安にしたい。

そんな気持ちがあります。

 

ただ、出来る事をしているだけなので熱量が少ない(笑)

 

ここがネックになるのかな?とも思ったりします。

意欲がないと作れませんからね。

 

 

ただ、作れるツールとしては

基本的には大体のモノは作れると思います。

これは10年以上、SEをしてきた経験です。

 

得意なのはWebアプリですが

調べて分かるモノは大丈夫です。

WordPressのプラグインも、検索してみればこんなモノか・・・と。

 

後は自分が面倒くさいと思わなければw

 

 

そして、前述しましたが

ボクがSEになったのは30代中盤

 

その気になって勉強をすれば、誰でも出来るんですよね。

 

とは言え、人には向き不向きがあります。

だから、無駄な時間を使う必要はありません。

パソコンが苦手なら、自分が使う範囲だけ覚えればいいと思います。

 

得意な事に時間を使うほうが有意義ですよね。

 

 

だからボクは、ツールが作れるからツールを作ります。

そして、皆様に喜んで頂けるようにしたいです。

 

 

■妻

大好きですし、愛しています。

これが本音で事実です。

 

そして、こんなボクを支えてくれる。

感謝しかありません。

 

支え方が昭和の人間ですけどね(笑)

 

そして、2人で幸せになるために

あえて、子どもも作りませんでした。

子どもメインにしたくなかった。

 

これが、良かったのか悪かったのかは分かりません。

 

 

ですが、2人で仲良く出来ている。

これは事実として動きません。

 

出会ってから20年

ケンカをした事もなく

恋人のままいれる。

 

リアルな友人(20歳ほど違う)夫婦にも

目標にしたいと言われました。

 

それで、この場でもう1度考えてみたんですね。

妻への想いを。

 

最初から、好きだったんですが

歳を重ねるごとに、まだ好きになる。

というか、ずっと一緒にいたいと思えるんです。

 

もう、20年も経ちますし

お互いの事はちゃんと理解しています。

 

それでも、衝突することもなく

今までこれたのは、趣味がある程度同じであること。

考え方の乖離が少ないことかな?と思います。

 

もちろん、尊敬もしています。

 

価値観も結構一緒なのかな?

 

 

そして、2人で本業を辞めたとき

やりたい事が同じなんですね。

 

 

目的は違うんですよ。

でも、一緒(笑)

 

日本一周をバイクでしたいんです。

ボクはそれ自体がメインではありますが

妻は各地のグルメと温泉がメイン。

 

移動手段がバイクっていうだけです。

 

もっと、年をとって

バイクがキツいならクルマでもいいんですけどね。

 

色んな時間を共有出来る。

これだけでもいいのかも知れません。

単純に。

 

 

でね、ボクはもう普通になっていますが

日本人の男性は妻への感謝が足りてないのが圧倒的ですよね。

 

ボクは、「嫁さんに感謝するDay」と、いうのを作って

嫁さんが行きたい場所、食べたいものを食べる。

 

そんな1日を作ったりしています。

いい意味で妻の言いなりになるんです。

 

 

きっと、多くの奥様方は

ちょっとした事を喜んでくれると思います。

 

日常では「ありがとう」と言えばいいと思います。

 

仕事の帰りにスイーツを買って帰るとか

通りかかった花屋で花を買うとか。

それは頻繁になくてもいいんじゃないかな?

 

子どもがいるから恥ずかしいかも知れません。

お互いに「お父さん」「お母さん」と呼ぶかも知れません。

でも、夫婦なんですからもっとオープンにしてもいいんじゃないでしょうか。

 

 

後ね、稼ぎたい理由の1つに何にもさせたくない。

と、言うのがあります。

 

なにかと言うと、一切の家事をさせない。

ハウスキーパーを雇ったりして

手が荒れる作業とかをしてほしくないんですね。

 

また、”美”には疎いんですが

エステなどに行ってキレイになるなら

ドンドン行って欲しいんです。

 

キレイになると言っても、ボクがそう思えればいいんです。

 

家事などから解放されて

妻がしたいことが出来ればいいんです。

 

ボクは、一緒に居てるだけでも幸せですから。

 

 

■お金への意識

先程お話したように、ボクの家族関係は複雑でした。

父親が変わると、親戚も変わります。

 

母方の親戚は、みなどちらかと言えば裕福なんですね。

祖父母は昔の名家の出でしたし

親戚も誰もが知っている大手家電メーカーの重役だったり。

 

もちろん、夫だけの収入でも余裕で暮らしていけるので

叔母さんたちは専業主婦をしながら趣味を楽しんでいる。

 

ですから、心に余裕もあったと思います。

他人の悪口なんて聞いたこともありません。

母への文句は聞きましたが(笑)

 

 

一方、父親が変わっても親戚は貧乏でした。

 

当然のように学歴もありません。

中学すら行ってない親戚の方が多かったですね。

 

そんな方たちばかりなので、お金の使い方もおかしかったです。

皆さん、どこかサボりがちと言うか・・・まともに働かない。

 

そして、当然のように共働きです。

スーパーのレジ打ちであったり

内職などもしていましたね。

 

平日の昼間からお酒を飲んでいる事も多かったです。

 

そして、話題は誰かの文句とか噂話がメイン

まともに仕事もしてないのに愚痴だらけ・・・

聞いているだけで不愉快になりますよ(笑)

 

また、父方の親戚の死も何度かみました。

お金が無いって本当に悲惨ですよね。

 

病気になっても、まともな治療も受ける事が出来ない。

みんな、お金がないからなすりつけ合いをする。

少ない金額のお金(保険金など)に群がる・・・

 

こんな惨めな状態にはなりたくないです。

 

これは、両極端な親戚(家庭)を見てきたから思うんですよ。

どちらが良い人生かは考えるまでもありませんよね。

 

そんな惨めな思いを妻にはさせません!

お金がすべてとは思っていませんが、お金は大事

それも、少ないより多い方が良い。

 

だから、ボクは絶対に副業で稼ぎますよ!

■まとめ

長々となりましたが・・・

 

人生は色々あります。

ボクの人生が1番不幸だなんて思いませんが

 

親ガチャのおかげで苦労はしました。

前妻のおかげでも苦労をしました。

ですが、それは全部経験なんですよね。

 

そして、しなくていい苦労はしない方がいいですよ。

 

それに、ボクの人生を見て

[marker type=”line-h” color=”blue”]「下には下がいる」[/marker]そう思って頂ければ活力も湧くと思います。

 

死ぬ前に後悔をしないように生きたい!

それがすべてです。

 

調査では、実に70%の方が後悔をして亡くなります。

そう、やりたいことをやらなかった後悔です。

 

 

ボクはこれを無くしたいんですね。

 

だって、人生は1度きりじゃないですか?

しかも主人公は自分なわけですよ。

 

自分の思う通りに生きてこそ自分の人生だと思います。

 

 

波乱万丈な人生じゃなくても

実にやりきった!って言える人生の方がいいに決まってます。

 

 

そして、やっぱりお金はある程度欲しいんです。

 

「お金だけが幸せじゃない」と言う方は

それなりにお金を持っています。

 

もし、お金を持っていない方が同じ事を言ったとしても

それは、綺麗事ですし虚勢を張ってるだけでしょう。

お金がないと分からない部分も多いですからね。

 

 

お金の心配をして

欲しい物が買えなかったり、旅行に行けなかったり

 

そんな事ありませんでしたか?

 

これは、ツラいですよね。

ボクも親や前妻のおかげで、まともに食事も出来ない時期がありました。

ツラくても、お金がないから我慢していたんですよね。

 

でも、今は違います。

 

しっかりと本業で固定給をもらいつつ

副業では月に50,000円以上稼ぐことが出来ています。

 

[marker type=”line-h” color=”blue”]年間にすると600,000円以上[/marker]になります。

そして、まだまだ増え続けています。

これは年収で考えるとかなり大きな金額です。

 

年収が300万円だったとしても

360万円になるんです。

 

 

その、浮いたお金で色んな事が出来ます。

 

外食だったり、プレゼントだったり

自由に使えるお金が増える。

我慢がそれだけ減っています。

 

正しい手段で、正しい実践をしているだけで稼げます。

 

 

大丈夫です。

ボクは学歴もコネもないのに沢山の仲間とも繋がれました。

そして、自分の生き方を自由に選べるようになりました。

 

仲間と一緒にネットの副業で結果を出せる側にもなれました。

心配なんていりません。

 

 

そう、ボクが稼げているんですよ?

あなたが稼げない訳がないと思います。

いや、マジで!

 

 

ボクと一緒に走ってみませんか?